“現在”を見つめていたい

 

V6の終幕が迫ってきている。
授業など受けている場合じゃない、と思いながら一日一日が過ぎていく。
泣き疲れて寝落ちした翌日、講義に遅刻した自分に衝撃を受けたのも数日前の話だ。

 


…いよいよ精神的にしぬのかもしれないとひしひし感じ始めている。
それでも日常を生きねばならないよ、と大量の課題がこちらを見つめて訴えている。


まともに食べて寝て授業を受ける、それだけのことを来週からきちんとできるかどうか不安で仕方がない。

でも、まともでなくてもいいんだよ、と自分に言い聞かせている。

無理をしてもしょうがない。どうあがいたところで悲しみは消えない

 


これだけのショックを受けているのは、V6が自分の心を何度も救い癒し育ててきているからだ。そんな心を潤す存在をある日突然失うことになる、その覚悟ができるかといわれれば、一生できないだろう。この別れの痛みをどこまでも引きずり、V6を想い続けるだろう。これは決して悪いことではないと信じている。

 


V6は永遠に、私の活力であり、癒しであり、愛しいものであり続ける。
一生この手から離すつもりはない。

…こう思えることが、どれだけ幸せなことだろうか。
これも、長い時をかけて彼らがはぐくみ愛してきたV6の歌、ダンス、関係性、そのすべてが“永遠である”と胸を張って言えるものであるがゆえである。V6には、本当に感謝しかない。

 

 

ただ、6人の迷惑にはなりたくない。大々的に彼らのことをV6と呼ぶことは今後できなくなる。間違っても、2日以降6人の名前にV6という肩書をつけることはあってはならないと己に戒める。見えるところで彼らをV6と呼ぶことは、彼らのこの度の大きな決断を否定することになるから。(公でない場合は自由に呼ぶけれど)

 

 

「V6」…ファンよりも誰よりも、V6の6人が愛し守り続ける名前、母体、場所。


〈V6と名乗らずとも、V6という場所を離れても、きっと大丈夫〉
〈6人それぞれの人生をもっと輝かせるための道は、グループを閉じた先にある〉

…そう6人が確信しているのだから、V6を最後まで見届けることに迷いなどない。

 

“気がつけば遠くまできたもんだ”
切実にそう感じている。

 


出会いがあれば別れがあり、始まりがあれば終わりがある。
分かっている。
…ただ、うまく息ができない。ここにきてまだ現実味がない。

 

過去を振り返ることはいつになってもできる。

どれだけよぼつこうが記憶が欠けようが、V6の魅力は決して忘れたくない、忘れない。

だから、最後の最後まで、V6の現在を見つめていたい。

 

 

 

残り1日。
6人の現在を見つめられる今、V6の言動ひとつひとつを脳髄に刻み込んでいきたい。

 

いつもいつでもファンのそばにいてくれるV6のことが、大好きだ。